■ ベルの定理とアスぺの実験


(1)ベルの定理

再び,電子のスピン一重項,すなわち全スピンがゼロの状態(スピン+1/2と スピン-1/2の合成された状態)にある2電子系を考え,これらが粒子源Rから互いに逆方向に放出されるとする。Rから十分遠く離れた先には測定装置が各々置いてあり,そこでは任意に指定された方向での粒子のスピン射影を測定できるものとする。この装置をスピン・メータと呼ぶ。スピン・メータは粒子源Rを挟んでお互い逆方向にあり,一方をAメータ,他方をBメータと呼ぶとする。A,Bメータにはそれぞれに2つの方向を測定できる設定つまみがあり,その方向をそれぞれa,a’方向b,b’方向と呼ぶ。
粒子源Rから放出されたn番目の粒子対に対して,Aメータがa方向に設定された時に,その方向に射影されるA粒子のスピン成分をa(n)で表す。即ち,スピン方向をσとすると,
a(n) = σ・a ( σとaはベクトル,・は内積)

a’方向とb,b’方向へのスピン射影成分も同様にして,それぞれa’(n),b(n),b’(n)と表す。量子力学によれば,これらのスピン射影成分のとりうる値は+1か-1のどちらかである。+1の測定値とは,スピン方向σと設定方向(例えばa)が同じ方向を向いていたことを意味し,-1は設定方向とスピン方向が反対を向いていたことを意味する。

次に,以下の式を考える。

γ(n) = a(n)*b(n) + a(n)*b’(n) + a’(n)*b(n) - a’(n)*b’(n)

ここで,γ(n)の取りうる値は +2 か -2である。なぜなら,
γ(n) = a(n)*{b(n) + b’(n)} + a’(n)*{b(n) - b’(n)}
と変形し,もしb(n) と b’(n)が同符号ならb(n) - b’(n)は零となり,右辺の最初の項のみが残る。その場合,b(n) と b’(n)が+1か-1かに応じて,γ(n) = +2*a(n) または -2*a(n)であり,a(n) は+1か-1のどちらかである。b(n) と b’(n)が異符号ならb(n) + b’(n)が零となり,右辺の第2項のみが残り,後は同様である。Q.E.D.

N個の事象を考え,γ(n)の平均値の絶対値を取る。
|Σγ(n) /N | ←--- ①
ここで,Σは n=1からNまでを取る。すべてのγ(n)に対して,取りうる値は+2 か -2であるので,①式の値は当然+2以下となる。次に,相関関数を以下のように定義する。

C(a,b)= lim {Σa(n)*b(n)} / N
C(a,b’)= lim {Σa(n)*b’(n)} / N
C(a’,b)= lim {Σa’(n)*b(n)} / N
C(a’,b’)= lim {Σa’(n)*b’(n)} / N
ここで,Σは n=1からNまでを取り,limはN → ∞を表す。

a(n)とb(n)の平均値はゼロであり,その分散値はそれぞれ + 1であることを考慮すればC(a,b)が通常の統計学上での相関関数であることは容易に検証できる。以上の議論から,①式において,N → ∞の極限をとると,

|C(a,b)+ C(a,b’)+ C(a’,b)- C(a’,b’)|=または<2 ←--- ②

これがベルの不等式(または定理)である。

②式は量子力学であろうと“隠れた変数による新理論”であろうと関係なく成り立つと考えられていたが,1964年にJ.S ベルは,a,a’方向b,b’方向を適切に選べば②式が量子力学においては成立しないことを予測した。つまり,実験によって量子力学と“隠れた変数による新理論”の違いが検証できることが指摘されたのである。そして詳細は後述するが,1981年にはアラン・アスぺのグループによって量子力学の正しさが実験により証明されたのである。

詳細な証明はここでは行わないが,②式の量子力学による評価を以下に紹介する。スピン一重項の状態を,

|Ψ> = (|Z+,Z- > - |Z-,Z+ >)/√2 ←--- ③

で表す。ここで,|Z+,Z- >は,Z軸に対して電子1がスピン上向き状態で電子2がスピン下向き状態であることを意味する。|Z-,Z+ >はその反対に,電子1が下向き,電子2が上向き状態である。相関関数C(a,b)の評価は,

C(a,b)= <Ψ|(σ1・a)◎(σ2・b)|Ψ>

を計算することによって得られる。ここに,◎はテンソル積を表し,σ1はAメータで測定した粒子のスピン,σ2はBメータで測定した粒子のスピン方向を表す。Z軸を単位ベクトルaの方向にとり,X軸を単位ベクトルbがX-Z平面にあるようにとり, aとbの角度をθabとすると,

C(a,b)= <Ψ|σ1z◎(σ2x * Sinθab + σ2z * Cosθab)|Ψ>

であり,これに|Ψ>の具体的表現③を用いて計算すると,
C(a,b) = - Cosθab ←--- ④

同様にして,
C(a,b') = - Cosθab'
C(a',b) = - Cosθa'b
C(a',b') = - Cosθa'b'
a,a’方向b,b’方向を同一平面上に平行移動し,それぞれの始点を共有させた時に,a方向とb方向を平行になるように設定つまみを合わせ,aとa’方向のなす角度とbとb’方向のなす角度とをφとする。即ち,
θab = 0, θab' = θa'b = φ,θa'b' = 2φ
となるようにスピンメータの方向を設定して測定することを考える。この特殊な方向の選択に対して,②式のベルの不等式は,
F(φ)= | 1 + 2Cosφ - Cos(2φ) | < または = 2

であるが,これはφがゼロより大きく,90度より小さい値では成立しない。例えば,φが60度ではCosφ= 1/2, Cos(2φ) = - 1/2 であるから,F(φ)= 5/2 である。

以上により,量子力学でのベルの不等式の破れが証明できた。 量子力学でベルの不等式が破れるのは,相関関数の形が④で示されるように- Cosθabの形をしていることにある。古典物理学で同様なケース,例えば共通の車軸の周りに,角運動量Lと-Lで回転する2つの車輪を考えると,その相関関数は -1 + θab / 2πであることが示され,その結果ベルの不等式は満足される。-Cosθabを展開すると,-1 + 1/2 * θab * θab であり,θabへの依存性が量子力学のほうがより強いことが破れの原因である。次に,実際のアラン・アスぺ等による実験の概要を紹介する。

(2)アスぺの実験

アスぺと同僚たちがオルセーで行った一連の実験では,スピン 1/2の粒子の代わりに2個の光子が使われ,スピンを測定する代わりに光の偏極相関が測定された。2個の光子は,レーザーによって適当にポンピングされたカルシウム原子から,カスケード放射の形で放出される。光源Rから反対方向に飛び出した2個の光子は,それぞれ検光子(スピン・メータに代わって,光子の偏極を測定する装置)をめがけていく。

検光子AとBの間は12メートル離れており,検光子AとBの入り口で,光スイッチにより,Aではaまたはa’方向へ,Bではbまたはb’方向へ振り分けられる。このスイッチは,光源Rから検光子に光が到着する間に,どの方向に振り分けるかをランダムに選択できる仕掛けになっている。これは,検光子Aに到着し,aまたはa’のどちらの方向に振り分けられたかを検光子Bには知らせることができないよう,お互い十分に遠くするためである。光源と各検光子の間は6メートル離れているので,光子は20ナノ秒で各検光子に到達する。従って,光スイッチは10ナノ秒毎に設定を変えるように作られた。

アスぺの実験では,光スイッチは水を満たしたガラス容器からなりたっており,そこに,定在超音波が25メガヘルツの発振器と結び付けられた電気音響変換器により作られている。ガラス容器は可変な回折格子として作用し,定在波が最大に振れた時,入射光子は波腹面でブラッグ反射される。1/4周期後に定在波の振れがゼロになる時,光子は波腹面でブラッグ反射されずにガラス容器をまっすぐ通り抜けることができる。実際の実験ではブラッグ反射の入射角は約1/4度,従って,回折ビームの偏向角は2倍の約1/2度であった。25メガヘルツの発振器によるスイッチ切り替え振動数は2倍の50メガヘルツになり,従って,スイッチ切り替えの半周期は10ナノ秒であった。
1982年のアスぺ等による上記の2度目の実験(1981年は光スイッチによる切り替えは行わなかった)は,明確にベルの不等式が量子力学において破られていることを示すものであった。このことにより,量子力学は不完全であるというアインシュタイン等の主張はしりぞけられ,併せてその論拠のもととなったアインシュタインの局所性原理は正しくない,つまり,非局所的な相互作用(遠隔相互作用)が存在することが最終的に確認されたのである。


(2001年8月15日;第一版 Copyright 寒泉)